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「世の中には色々な人がいる。」を別角度から深掘りしてみる。

学んだこと
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チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン。

チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン。

こんにちは、学楽(ガクラク)です。

笑点風にしててみましたが、伝わりましたでしょうか?

今日は質問の多かった(?)「世の中にはいろんな人がいる。」というのを、

別角度から深掘っていきたいと思います。

なかなかうまく伝わらないお題なので、

たとえてお話してみたいと思います。

いじめっ子がいたとします。

その子は、なぜかからんできて、いやなことを言ったり、されたりします。

大人になった今だったら、「なんか嫌なことでもあったのかな?」

と流して終わりですが、

小さいときにはそうはいきません。

「なぜその子は、そういうことをするのだろう?」

最初に普通の人はそう考えるかと思います。

それでもその意味不明な、理不尽な攻撃が続くと、

「自分が何か悪いことをしたかな?」

と考えるようになり、

「軽い自己否定」が始まります。

なぜ、なぜと理解しようとすればするほど、

深みにはまっていきます。

やがて自己嫌悪に代わり、負のスパイラルとなっていくのです。

これは相手を理解しようとして、

理解できないことが原因です。

「相手のことを思って」とか、「相手の立場になって考えて」

と教わるわけですから、

まじめな子ほど陥りやすく、

重症化しやすいのです。(これがいじめの構造)

とはいえ学校というコミュニティはまだ小さく、

管理者である先生もいるのでまだましですが、(最近は多少はマシというレベル。)

社会に出るとそうはいきません。

頼れる人もいなく、

”輩”のレベルも格段に上がっています。

そこで、相談できる友達・上司・先生等がいる人は大丈夫なのですが、

基本、新社会人は孤独です。

すべて一人で決めていかなけれはいけないので、

脳みそも忙殺されます。(考える余裕なんてありません)

そんな時、”輩”に出会ったら・・・・。

私も小さいときいじめられた経験があります。

原因は、

「多少勉強ができた」「多少生活に余裕があった」「悩みのない顔をしていた」

そんなとこでしょうが、

当時はそこまで考えつかないので、結構嫌な思いをしていました。

先生が気づいて早めにいじめの芽を摘んでくれれば、

とは思いますが、

現実はそんなに甘くありません。

まして、”輩”は罪悪感に乏しく、どんどんエスカレートしていきます。

彼らはいじめによって自己肯定をしているので、終わりはありません。

ただ、学校時代は卒業すれば終わります。(完全とは言えませんが。)

社会人になってもいじめはあります。

私的にも経験を積んでそれなりにレベルアップしているはずですが、

なんせ40学年(「社会に出て最初に学んだこと」参照)ですから、

しかも、奴らはいじめのエリートなわけですから、

当然のようにやられてしまいます。

多少理論武装したくらいでは、

多少同世代の友達が増えたくらいでは、

歯が立つはずがありません。

まして卒業という終点もないのです。

精神的にぼっこぼこにされました。

そこであの言葉です。

「世の中にはいろんな人がいる。」 

つまり、存在は認めて、その先は一切気にしないと言うことです。

そうすると、自己否定感がなくなり、

自己嫌悪に陥ることがなくなります。

あとはひたすら、避けて、かわして、流していくだけです。

学校時代より逃げ場は広くなってますから、大体OKです。

最悪、転職するとか、引っ越すとかがあると思えればかなり楽になります。

嫌なことは考えず、楽しむことだけ考えてください。

”ポジティブシンキング”

これ重要です。

どうせ○○するのなら、○○しなければならないなら、

いいように考えて、前向きに考えてやったほうが

楽しいし、いい結果につながると思います。

明るい未来は、もう、すぐそこまで来ています。

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