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「無知の知」とは何ぞやという話。

マナブはタノシ
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こんにちは

「マナブはタノシ」と書いて、学楽(ガクラク)と申します。

今日も「マナブ」を楽しんでおります。

今日のお題は「無知の知」です。

「無知の知」とはソクラテスの言葉で、「知らないことを自覚すること」です。

かのソクラテスですら自分を”無知”だというわけですから、

すべての人は”無知”であるということです。

この場合の”無知”は「全く知らない。」ではなく、

「完璧に知ってはいない。」ということです。

自分は知っていると思ったら、それ以上知ろうとは思わなくなります。

「まだまだ完全に知っているわけではない。」と謙虚さを持つことによって、

より進歩できるわけです。

さらに、ソクラテスは知識人たちに問いかけを繰り返し、相手の知恵を確認した結果、

「知恵があるとされる者が、必ずしも本物の知恵があるわけではない。

知らないことを自覚している自分の方が彼らよりは知恵がある。」

という結論に達したとされます。

まさに、「無知の知」の本領発揮です。

「無知の知」、かなり大事です。

とにかく、知ったかぶりはだめだということです。

ということは、私の今までの人生はまさにダメダメなやつでした。

なんなら、「知ったかぶりの王様」クラスでした。

「賢い=かっこいい」と思っていましたし、努めてそう見せていました。

(若いときは、もれなくそういう思考がついてくるみたいですね。)

もし、二十歳くらいの頃、「無知の知」を知っていたらどうっだたでしょうか?

目ざとい私なら、きっと一歩引いて全体を見ていたと思います。

思い返してみると、そういうやつはいました。

そういうことだったんかい、と今頃後悔しても遅いんですが・・・。

くそ~、得意になっている自分を冷ややかな目で見ていたのか―――。

自分のアホさ加減が情けない。

「無知の知」なんてすばらしいだ。

さっきは、二十歳ぐらいに知っていればといいましたが、実際は出会っていたかもしれません。

気付かないことはよくある話で、まだそのレベルになかったのかもしれません。

まあ気付けた自分(の成長)をよしとして次に進みたいものです。

今なら間違いなく無知(不知)を自覚しております。

謙虚に、人の話にも耳を傾けることができるでしょう。

こうしてみると、「無知の知」は「マナブ」において一番重要なことかもしれません。

多少知っていることでも、知らないと仮定して学ぶことができれば、より多くの成果が得られます。

「無知の知」を肝に銘じてマナンでいきたいと思います。

なにしろソクラテス先生のお言葉ですから。

ソクラテスは、釈迦、孔子、キリストと並び四聖(人)と呼ばれています。

また「哲学の父」とも呼ばれ、著書もほとんど残ってないようです。

そこがまたミステリアスで素敵ですね。

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