こんにちは
マナブを楽しむ、学楽(ガクラク)と申します。
毎日元気に学んでおります。
今日は面倒くさい性格の話です。
私のめんどくさい性格の1つに
「追い込まれないとできない。」
というのもあります.
まぁ、いい風に考えれば、追い込まれれば必ずやるわけですから、やると言う視点から見た場合は
良いのですが、私自身はあまり好きになれません。
このブログもそうなのですが、初め2~3ストックして余裕を持って投稿したいと思ってました。
しかし、それも数日しか続かず、締め切りに追われる日々となります。
それなりに時間をかけて作るのですが、やはり締め切りに追われていると、自分の思う通りの
クオリティが出せているかかどうか不安になります。
余裕を持って作った記事は何回も見直すので、それでクオリティーが上がっているのかもしれま
せんがその見直す回数が少ない分不安になるのです。
永遠に見直すわけにもいかないので、どこかで線を引いて区切りをつけなければいけません。
が、それがまだ自信がないので、それが"どこか"がわかりません。
「本当に直すべき性格か?」それすらわからなくなってしまいます。
「性格にはなおせるものとなおせないものがある。」
と考えると少し楽になります。
もしかすると、
「簡単に直せるものと、難しいもの。」
かもしれません。
「不可能なことはない教」信者なので後者ということになります。
すぐにどうこうできると言う話でもありません。
しばらくはこの性格と付き合っていくという感じでしょうか。
なんだか持病を持った患者にみたいですね。
ということでこのブログを書いているわけですが、一つの考えが頭に浮かびました。
「このブログは本当に書きたいものなのか?」
おや、これはまた別の面倒くさい性格が発動してしまったのではないでしょうか?
変に深く考え、思考がまとまらず、堂々巡りのパターンです。
考えすぎて前に進めない、
「下手な考え休むに似たり」
というかというかそれ以上にたちが悪いでしょう。
「ブログの是非からかい」
と自ら突っ込みを入れながら、そこは決めたこととして、その先を考えます。
「自分の経験なんかが本当の本当に人の役に立てるのか?」
そこを否定すると、自分の存在すら否定することになるので、これもスルー。
となると、戦術の部分で、
テーマを明確にしたりだとか、
伝え方を工夫したほうがいいのかもしれません。
よく考えると、この部分は現在試行錯誤中なので、答えがなくて当たり前。
ということは、「何も悩むことなし」ということです。
結局、一周回って元に戻りました。
わからないことにチャレンジしているわけで、うだうだ考えるのは当たり前。
そのうち考えがまとまれば(イコール基準ができるわけで)、スプスパ決めていけるはずです。
めんどくさい性格その一の
「自分で定義づけしないと気が済まない。」
と、いうのもそのためだったとわかりました。
事実、自分自身で定義しているものは、すごく早く判断しているのです。
「わからないから決められない。」
至極当たり前のことだったんですね。
とりあえずカレンダーの70日後に赤丸をして、
「ブログについて考える。」
と書き込んで、それまでは何も考えずにトライ&エラーを繰り返すことにしました。
最初にここまでできればよかったのですが、まあこれもいい経験ということで大目に見てください。

私の悪癖である
「石橋をたたいて渡らない」
というのももしかしたら「渡らない」という判断をしたのかもしれません。
というのも結構、目新しいことにバンバン、チャレンジしてきているからです。
「渡らない」ばかりの自分じゃなかったことに気づけました。
感謝です。
昔、茶恋時(ちゃれんじ)という名前のスナックがありました。
みほちゃん、ミチエちゃん、お元気ですか?
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