こんにちは
「マナブはタノシ」の伝道師、学楽(ガクラク)と申します。
今日も元気に学んでおります。
今日のお題は学校です。
【学楽流】学校の定義とは、「自立して生きていくために必要な知識を学ぶ場所。」
うん、簡単で分かりやすくて、我ながらすごくよくできたと思います。
学校の定義を調べてみると
「一定の教育目的を達成するために、継続的、計画的に教育活動の営まれる組織であり、
教育をする者、教育を受ける者、および教育活動に必要な施設設備を中心に構成される。」
だとか、
学校とは、小学校、中学校、高等学校、大学、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする。
(昭和22年施行の学校教育法(第1条)による)
とか、もはや意味不明です。
今回定義した、
「自立して生きていくために必要な知識を学ぶ場所」
の中で、一番重要なポイントは、「マナブ」ということです。
別に、私のブログタイトルにひっかけているわけではありません。
主人公は「マナブ」側だということです。
決して「教える」側ではありません。
一定の教育目的を達成するため ⇒ 一人前の社会人になるため
教育活動の営まれる組織 ⇒ 「マナブ」ことが可能な環境
教育をする者 ⇒ 「マナブ」者
教育を受ける者 ⇒ 「マナブ」ことをサポートする者
教教育活動に必要な施設設備 ⇒ 「マナブ」ことに必要な施設備
そして、主語は「マナブ」側です。
こうして置き換えてみるととすっきりします。
法律にしてもそうですがそうですが、「教育」ってなんか違和感を感じます。
大人が「教えてやるぞ。」的スタンスで、上から目線で、果たして教え育てられるのでしょうか。
結果は今の学校教育をみれは一目瞭然、とても成功しているとは言えません。
個々の「マナブ」気持ちを育て、「学びたい」と思わせていくのが学校ではないでしょうか。
ところが今の学校教育は、「知識の詰込み」という作業をしているだけ、
「しかもたくさん詰め込んだほうが勝ち」的な誤った成績主義からの学歴社会。
おかしくないですか。
生徒はもちろん、先生も育ちません。
たまにテレビで、途上国の青空教室で学ぶ子供たちの生き生きした顔を見ると、
これこそが学校であると、確信します。
そろそろ「裸の王様」はやめませんか?
誤りは修正すべきです。
日本の優秀な官僚たちは当然気付いているはずです。
トップだった日本人の学力が、後進国にバンバン抜かれて低迷し続ける現実に、
そろそろ終止符を打つべきです。
このままいけば間違いなく最下位になります。
日本人全員、危機意識を持つべきです。
少し熱く語ってしまいましたが、もう少し言わせてください。
前述の「青空教室で学ぶ子供の目」と「日本の学校で学ぶ子供の目」を比べると、
自殺する若者が増えているだとか、
将来に希望を持てないだとかの原因が、
全てあるように思います。
今、私は、悩める新社会人向けてこのブログを書いていますが、もっとさかのぼるべきかも
しれません。
もはや直接の当事者(子供)だけの問題ではなく、
修正していくためには社会全体の理解と協力が必須です。
上からですみません。
子供が目を輝かせて学べる環境を作りたいものです。

今回、学校のの定義を自分なりに考えてみたわけですが、
良かった点が3つありました。
1.頭の中が整理でき、自分の言葉で分かりやすくまとめることができた。
2.現状の問題を自分なりに体系立ててとらえることができた。
3.このブログのテーマをより深めることができた。
とういことで、このブログ内の「マナブ」は自分なりに定義することから始めて、ものの本質・
問題点・改善策等を深く考えていくというミッションを加えます。
追記
日本人って本当にレッテルを張りたがる人種だなと痛感しました。(もちろん自分を含めて。)
本当は「社会の一員になるべく訓錬をする場所」というのも添えたかったのですが、
簡潔にということにこだわって、あえて今回は外しました。
また改めて、考えていきたいと思います。
また、こののテーマは大きいので今回はあえて「問題提起」ということで、2弾・3弾と深く
考えていきたいと思います。
余談ですが、上の写真を探すにあたって
「木の下に机を並べて、10人くらいで勉強する子供達の写真(青年海外協力隊的な)」
を探したのですが、全く見当たりませんでした。
よしんばあってもノートパソコンが写っていたりとか・・・。
差別的にならないように気遣われたのかどうかわかりませんが、時代が変わったのかなと感じました。
なるべくわかりやすく書いたつもりですが、ご不明な点・ご意見等ありましたらコメント
お願いします。
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